説教要約
「キリストのかたち(4)和解ときずな」(コロサイ 1章 19~22節)
今日の箇所には「和解」ということばが出てきます。
「和解」とは一言で言うなら「神様との良い関係を持っている」ことと言えます。
前の聖書箇所でイエス・キリストは神であり、どれほど偉大で言葉で言い尽くせないほど素晴らしいお方であるかが記されています。
その素晴らしさはまた神の御子が人となられた。
すべてのものの造り主、創造主が、造られた者、被造物となってくださった。
最高のお方が貧しく、低くなってくださった。
主であるべき第一のお方が、しもべとなってくださったこと。
それらのことの中にあるのです。
なぜ神が人となって下さったのでしょうか? そのためにまず人は生まれながらの罪人であり、神の敵であり、御怒りを受けるべき子らであるという、どちらかと言えば、私たちがあまり真剣に受け止めようとしない、確かな現実を見る必要があります。
つまり救いようのない状態の中にいる私たちを救い出すために神は人となり、しかもその罪の罰を赦すために十字架に架かって死んでくださったのです。
これが聖書が教える「和解」です。
本来「和解」というものは、損害を与えた人のほうから損害を受けた人に対して「ごめんなさい」とお詫びをし、償いをし、赦しを請い、仲直りを願い出るものです。
しかし、神は、人間が罪を犯し、反逆し、言わば加害側であるにもかかわらずご自分のほうから和解の手を差しのべてくださいました。
ですからこれは特別な和解です。
さらにこの不思議な和解のみわざをどうか受け入れて欲しいと神様がへりくだって勧めてくださっているのです。
そうした神の熱い心を知るなら、誰がそれに応えずにいられるでしょうか。
主のご愛に感謝し、応えていこうではありませんか!
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