説教要約
クリスチャンは誰でもバプテスマ(洗礼)を受ける前に洗礼の意味について学びます。
しかしバプテスマの意味は信仰生活を送っていく中で徐々に分かっていくものです。
聖書はくり返し信仰者に対しバプテスマの意味を説いています。
バプテスマの意味において三つのことを聖書は教えています。
その第一は「罪の赦し」です。
イエス・キリストを自分の救い主と信じ、バプテスマを受ける前に犯した罪、それがどのようなものであり、どれぐらいのものであったとしてもバプテスマを受けた時に罪は洗い流され、赦されるのです。
だから、イエス・キリストを信じる前の罪の生活に戻ってはいけないと、教えられています。
罪を赦された恵みを、ほんとうに知っている人は、簡単に同じ罪に戻っていくことはありません。
第二は「罪からの解放」です。
聖書は罪を「負債」(借金)と言い表しています。
14節の「債務証書」とは負債の支払いを請求するものでありこれは「律法」のことを言っています。
この罪の負債は生きている限り増えこそすれ減ることはありませんので当然、一生かけて返済することなど不可能です。
だからと言って居直ったり、諦めたりすると消えるものではありません。
キリストの十字架による救いは罪の赦しだけでなく押し寄せる負債(罪の代価)の束縛からも解放してくださるのです。
バプテスマはその解放と勝利のしるしです。
バプテスマが表す第三のことは、私たちが「キリストと共に死に、キリストと共に生きる」ようになったことです。
キリストを信じる者は、罪に死んで、新しい者になりました。
けれども、私たちはバプテスマを受けたあとも、自分の中に罪が残っているのを見て、がっかりすることがあります。
救いすら疑うことがあります。
しかしそれは、むしろ、救われた証拠です。
以前は罪を意識しない霊的に死んだ状態にあったのです。
「痛み」を感じるのは生きていることの証拠であるように「罪を意識する」のは救われていることのしるしです。
そしてバプテスマは古い自分に死んでキリストと共に生きることを示しています。
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