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9月3日「キリストのかたち(9)栄光の望みなるキリスト」(コロサイ 3:1~4)


 

説教要約

「キリストのかたち(9)栄光の望みなるキリスト」(コロサイ 3:1~4)

 

コロサイ3:1に、「こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。

そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。」とあって、私たちが天を見上げるのは、そこにキリストがおられるからであると言っています。

いや、キリストがそこにおられるだけでなく、私たちも、キリストと一緒にそこにいるのだと教えています。

クリスチャンはキリストを信じる者です。

神の御子が私たちの救い主となるため、人となって世に来られたこと、全人類の罪を背負い十字架で命を献げられたこと、十字架から三日目に復活されたこと、そして、今、天で父なる神の右の座について、そこで私たちのためにとりなしておられることを信じています。

そう信じて、その信仰によって救われました。

しかし、「クリスチャン」という言葉には、ほんらいは、「キリストにある者」、キリストと結ばれ、キリストとひとつにされた者という意味があります。

ですから、キリストが十字架で死なれたとき私たちも死に、キリストが葬られたとき私たちも葬られ、キリストが復活されたとき私たちも復活し、キリストが天に帰られたとき、私たちも天に昇ったのです。

エペソ2:4〜6にこうあります。

「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。」

「クリスチャン」とは、「キリストを信じる者」というだけでなく、「キリストにある者」であり、キリストとともに死に、キリストとともによみがえった者なのです。

この真理は私たちの想像力をはるかに超えたものです。しかし、信仰とは、目に見えないものを、神の言葉によって信じることです。

神の言葉はある部分は信じられ、ある部分は信じられないということはありません。

むしろ神の言葉によって想像も出来ないことを信じる信仰を強めて下さいと祈りたいと思います。

 


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メッセージ内容(2023年9月3日)
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