説教要約
今日はシャローム感謝会が持たれます。ご高齢の方々が長年の間、信仰を保って過ごされてきたその姿だけでも神の恵みを大いに覚えます。後に続く私たちも人生の先輩、信仰の先輩にならって、良き人生と真実な信仰を求めていきたいと思います。
1)祝福された人生・・「良き人生」とはどういう人生でしょうか? 詩篇一篇は「幸いなことよ。」ということばで始まっていますが、この「幸い」は「ハッピー」という意味ではありません。「祝福」という意味です。一般的に「良き人生」と言う場合ハッピー(お金と健康と家族等)であるか無いかに関心が向けられます。人生の関心がそれに向けられているなら満たされないばかりかますます遠くなっていくでしょう。しかし、聖書は、年齢を重ねれば重ねるほど増し加わっていく「幸い」、それは神の恵みがたましいに注がれ、満たされていく幸い、神からの祝福があることを教えています。
2)みことばを思う人生・・そのような祝福はどうしたら、私たちのものとなるのでしょうか。詩篇は「主のおしえを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。」と言っています。口ずさむとは読むことであり、また思い巡らすことも意味しています。「私の中にキリストがおられる」ことと「キリストの中に私がいる」ようにみことばを知識として取り入れ理解しながら、さらにキリストの与える祝福の中にどっぷりと浸かって神は祝福を与えられます。
3)実を結ぶ人生・・詩篇に「その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。」とあります。「実」とは救われる人や内面的な御霊の実、そして神に服従する中で生み出される義の実と多様です。世の中ではどんなに真実に生きても認められなかったり、受け入れられないことが良くありますが神の祝福によって生み出される実は無駄になることは決してありません。
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