説教要約
「祈りは呼吸のようなものである」とよく言われます。私たちはどんなに身体が丈夫でも、内臓が強くても呼吸が出来なくなると数分で身体の動きが止まります。目には見えませんが呼吸は重要な動作です。祈りも同じです。信仰者の成長にとって不可欠な働き、それが祈りです。今日の箇所からパウロは祈りは信仰者の成長に無くてはならないものであることと祈りについて三つのことを強調しています。それは第一に「祈りなさい」、第二に「祈ってあげなさい」、そして第三に「祈ってもらいなさい」です。
1)祈りなさい。・・これは自分のために祈るということです。多くの人はクリスチャンになってはじめて本当の祈りをするようになったことと思います。そして教会をはじめ、様々な機会に祈りをもってことが始まり、祈りをもってことが終わることを経験してゆきます。パウロは「たゆみなく祈りなさい。」4:2と勧めます。これは祈りにどれだけの時間や労力をかけるかということよりも祈りが生活化することを目標とするということです。そうすると祈りが生活の一部となるだけでなく、生活自体が祈りとなってゆきます。
2)祈ってあげなさい・・これは「とりなし」のことであり誰か他の人のために、その人になりかわって祈ることです。パウロは「私たちは、あなたがたのことを祈るときに・・」(コロサイ1:3)と常に執り成しの祈りを捧げていました。主イエスが教えられた「主の祈り」も神を「われらの父よ」と呼び、「われらの糧を」、「われらの罪を赦したまえ」、「われらを試みにあわせず・・」と祈ります。主の祈りは自分の祈りであると共に他者のための祈りでもあるのです。
3)祈ってもらいなさい・・パウロは執り成しの祈りを熱心に捧げていました。彼に祈ってもらうために駆け付けた人は多くいたと思います。しかしパウロは何度も「私のために祈ってください」と教会の人たちに願い出ています。自らが本当に祈る人は、他の人から祈ってもらうことがどんなに必要なことかを知っているのです。
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