説教要約
詩篇100篇は神への感謝を教えていますが何を感謝するように教えているのでしょうか。
この詩篇には三つの感謝すべきことが書かれています。
その第一は神との関係が持てることの感謝です。
つまり神様と私達はつながっているということです。
この詩篇は、私たちに「主に向かって喜びの声をあげよ。」(1節)と言い、「喜びをもって主に仕えよ。」(2節)と呼びかけています。
「主に仕える」とは、主を礼拝することを意味しています。
神と私達の関係は礼拝によって明らかにされます。
礼拝はクリスチャンの義務ですがこれは重苦しい義務ではなく喜びの義務です。
しかも「知れ。主こそ神」(3節)と言われているように感情だけでなく、知性も、意志をもって、つまり全人格的に神との交わりを通して神を知る時でもあるのです。
第二は神のご臨在を感謝するということです。
神は今も生きて働いておられることを体験できる恵みです。
4節は「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。
主に感謝し、御名をほめたたえよ。」
と言って、礼拝をささげる人たちの姿を描いています。
神殿の庭に入って祭壇に向かいます。
祭壇とは、そこで犠牲をささげ罪の赦しを願うところです。
祭壇は、罪の赦し、神との平和、そしてなによりも、神の臨在の象徴です。
新約の恵みに生きる私たちにとってはそれが聖餐のテーブルであり、教会の存在です。
クリスチャンが、主の臨在を求め、体験し、それを喜びとするとき、教会は、主の臨在を示すところとなることができるのです。
第三は神のご性質に感謝するということです。
5節は「主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」
と言って、恵みと真実は神の豊かなご性質であることが言われ、作者もそのことを感謝しています。
恵みとは罪の赦しであり、真実(まこと)とは神の聖さ、正しさ、義ということです。
「恵みとまことはイエス・キリストによって実現した」(ヨハネ1:17)とあるように全知全能なる神は御子イエス・キリストを私たちの罪の赦しと救いのためにお与えになるほどまでに愛してくださるお方なのです。
神はそのような言葉に言い尽くせない程の素晴らしいご性質、特質を持っておられることは感謝なことです。
主の御名を崇めましょう!
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