説教要約
マタイやルカと比べるとヨハネの福音書の冒頭部分はストーリー性に乏しく感じられるかもしれません。しかし、イエス・キリストがこの世にお生まれになられたクリスマスの「意味」を私たちに教えてくれています。
今朝は、9節の「すべての人を照らすまことの光が、世に来ようとしていた」というみことばを軸にクリスマスの意味を考えたいと思います。
1)イエス・キリストは「まことの光」
ヨハネはこの「ことば」が、初めから神とともにあったお方であり、また神であったと述べます。そして、この「ことば」であるお方が「人となって、私たちの間に住まわれた。」(14節)と驚くべきことを教えています。この「ことば」こそイエス・キリストです。神であるお方が人となられて私たちのところに来られた。このあり得ないことが実現したのがクリスマスです。
2)イエス・キリストは、「世」に来てくださった
神である「まことの光」が訪れるならば、それはどんなにか素晴らしいことかと思うのですが、実際には「世」はこの方を受け入れませんでした。神を知らずにいる、また知ろうともしない「世」は、「闇」の中にあります。この闇の中に、キリストはお生まれになってくださいました。
3) イエス・キリストは、すべての人を照らすために
何故、イエス・キリストは、受け入れられないことを承知で、さらに言えば十字架にかけられて殺されると分かっていながら、私たちのところに来てくださったのでしょうか。それは私たちに、いのちを与えるためです。ヨハネは、私たちのいのちがどこにあるのかを教えてくれています。「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(4節)
イエス・キリストは、暗闇に覆われた「世」に住む私たちに「まことの光」として与えられました。このキリストにいのちがあります。
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