説教要約
主イエスは神の国の真理を話す時によく日常人々が見たり、経験していることを用いてたとえ話をなさいました。
ここでは道端に落ちた種、岩の上に落ちた種、茨の中に落ちた種、それらの中で種が成長し、実を実らせることは困難であるのに対し良い地に落ちた種は百倍の実を結んだと記されています。
ここで主イエスはたとえ話は弟子たちにとっては神の国の奥義を知る入口あるいは道となるがそうでない人にとってはその奥義が隠されるものとなるとおっしゃいました。
たとえ話とは物事を分かりやすく伝えるために話すものですがここでは物事を隠すことになると不思議なことを言われました。
弟子達の質問に答える形で主イエスはたとえ話から神の国の奥義について教えられます。
普通、ここを読んで思いつくのは自分が道端、岩の上、茨の中のうちどの土壌に落ちた種かなと自問自答することです。
そして「自分は良い地」ではないということには強い自信を持っています。
ある意味、これは健全な自己評価です。
自信をもって「私は良い地です」と言える人はいないでしょう。
しかし、ここで主イエスは弟子たちに、そして私たちに発想の転換を求められます。
人間的な見地で自分を見ていたらいつまでも私たちの心は道端であり、岩の上、そして茨の中にいる状態です。
そしてそこで自分の力で頑張って良い地を目指したとしても人の生涯は道端、岩の上、茨の中で終わります。
しかし実を実らせるために最も重要で必要なものは種です。
種はみことばであり、種を成長させるのは神です。
神がいのちを与え成長させてくださるのです。
良い地の説明で「立派な良い心」というのは、み言葉をしっかり聞く心のことです。
「しっかり守る」というのは、聞いたみ言葉を手放さずしっかりと持ち続けることです。
「忍耐して」というのは、神の言葉である種が実を結ぶ時を忍耐して待つことです。
ですから「良い地」とは私たちが自分の力で立派な良い人間になるということではありません。
日々問題をかかえている私たちが、主イエスによって既に実現している神様の恵みのご支配、神の国の福音を信じて、主イエスが今も忍耐をもって蒔き続けて下さっているみ言葉の種を手放さずしっかりと持ち続け、それが実を結ぶ時を忍耐して待ち続けていくことをこそ主イエスは求めておられるのです。
神のみことばの力を信じ続けましょう!
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