説教要約
教会の暦では今週の水曜日2月14日からレントと呼ばれる「受難節」が始まります。
レントという言葉は断食するということばが語源と言われています。
イースターの前、日曜日を除く40日間、キリストが苦難を受けたことを思い起こし、十字架の苦しみと死を心に刻む期間です。
特に受難節、最初の主日に、教会ではイエスの荒野での誘惑の記事、つまり今日の箇所が伝統的に読まれてきました。
それは、このイエス・キリストの誘惑の出来事というのが、単なる誘惑や試練に打ち勝つというようなことではなく、私たちが生きているということの全体に関わること、特に、この世の苦しみや受難と深い関係があるからです。
「レント」の40日は主イエスが荒野で過ごされた40日に由来しています。
荒野で主イエスは「食べ物」「力や権威」「安全(拠り所)」といった3つの試み、あるいは誘惑を受けられ、それに打ち勝たれました。
そもそも悪魔の試み、誘惑自体虚偽に満ちたものです。
例えば「国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう」と悪魔が言っても本来それらはすべて神なる主イエスのものです。
ですから悪魔の試みにたいしては主イエスの御力をもってすれば容易く勝利できたでしょう。
しかし主イエスは、神の子としての力によってではなく、人としてこれらの試みに打ち勝たれました。
イエスにとって石をパンに変えることは容易いことです。
また、イエスはご自分の知恵、知識を使って議論し、誘惑を退けたのでもありません。
イスラエルの人なら、誰でも、こどもでも知っている、ごく基本的なみことばを引用し、それによって誘惑を退けているのです。
つまりイエスは、神を信じ、父なる神の言葉に信頼する、ひとりの信仰者として、誘惑に勝利されたということなのです。
これは、わたしたちにとって大きな励ましです。
主イエスは私たちのために勝利して下さったのです。
キリストの苦難は私たちのための苦難です。
私たちはみことばによってある程度、神のみこころを知って現実の社会や人間関係の中に出てゆきます。
しかし試みや誘惑にあうなかで自らの弱さと罪深さを知らされます。
そして悔い改めと共に主イエスの十字架をもって示された神の愛を知らされ、再びみことばの力を体験します。
みことばに生きるとはみことばを通して神とつながり続けることなのです。
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