説教要約
礼拝とはイエス・キリストにお会いする時であり、主の備えてくださった十字架による罪の赦しと復活のいのちに活かされて新しい週を始める時です。主イエスは言われました。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
たとえ、どんな重荷をかかえていても、礼拝に来るとき、わたしたちは、復活されたお方、いのちの主に出会い、疲れたからだと傷んだ心をいやしていただき、このお方のもとに重荷をおろすことができるのです。
イエスはご自分の約束に真実なお方であり、信仰をもってイエスに近づくとき、イエスはかならずそこにいてくださいます。ただどんなにイエスがわたしたちに近づいてくださっていても、すぐそばにいて下さっても、わたしたちの側に信仰がなければ、イエスに出会い、イエスを知ることはできません。
きょうの箇所の、エマオの村出身のふたりの弟子がそうでした。
復活されたイエスがふたりと一緒に歩き、語りかけておられるのに、このふたりは、それがイエスだと分からなかったのです。
しかし、彼らはイエス様の取り扱いを受け、最初から共にいて下さったのはイエス様であることが分かり、ついには
「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」ルカ24:32
と語るまでに変えられました。
イザヤ9:6に救い主が誕生し、その名は「不思議な助言者、力ある神」と呼ばれると書かれています。
「不思議な助言者」は英語ではワンダフルカウンセラーと訳されています。
イエスは素晴らしいカウンセラーとして、落ち込んでいた二人の弟子たちと関わられました。
その結果、彼らはすっかり変えられ、救いの確信とキリストの弟子とされた喜びに満ち溢れた者にされてゆきました。同じ恵みを主イエスは私達にも与えようと備えてくださっています。
気がつけばイエスはここにおられるのです。
―あなたと共に、そしてあなたの中にー
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