説教要約
一般的に考えると教会とは不思議な人の集まりです。老若男女を問わず、毎週主に日曜日に集まり、そこで何かの買い物をするわけでなく、コンサートや演劇を見るのでもなく、いろんな奉仕をして何か目に見える見返りがあるわけでもなく、むしろ献金や時間、労力を捧げて、喜んでいる人たち。これが教会に行った最初の頃、自分が持った感想です。しかし、次第にあぶり出しのように一人一人の内側にあるキリストを信じる信仰がその行動原理であることが分かってきました。
パウロは今日の箇所で信仰者の生活の教え、行動の原理を教えます。
それは先ず第一に「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。」3節
ということです。これは別の訳の方が理解しやすいと思います。それは「自分を過大評価してはいけない」ということです。これがクリスチャンの生活を築く上で真っ先に努めるべきことだ、とパウロは言っているのです。
ではパウロはどのように自己評価をすれば良いと言っているのでしょうか?彼は「神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。」そのように自分を評価しなさいと言います。ここで言われている「信仰の量り」とは量や強さの度合いのことではなく、信仰者各自に神が与えた信仰の量り、ものさしで評価しなさいということです。神はその人に応じた信仰の量りを与えて下さっています。そして信仰の量りは信仰の内容を基にしています。信仰の内容はローマ人への手紙の1~11章にわたってパウロが説明していることです。(想像以上に罪深い人間をキリストの十字架をもって罪赦し、救い出してくださる聖い神の愛です)
信仰とは、神によって与えられるこの新しい自己評価に生きることです。神によって与えられる新しい自己評価を受け入れることこそが、自分を慎み深く評価する、ということになります。
教会はキリストのからだです。キリストにつながる私たちがキリストの愛に促されて共に奉仕し、神に仕えてゆく時に神はこの世では味わうことの出来ない大いなる喜びを与えてくださるのです。
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