説教要約
シリーズ「救いへの道」最後の学びとなります。
鍵となることばは13節の「主の名を呼び求める者はみな救われる」です。
「主の名を呼び求める」ことと前回の「イエスを主である」と告白することとは何が違うのでしょうか? それは信仰告白することは自分自身の在り方を表明することですからやや自己完結的であるのに対し、主の名を呼び求めることは神様に呼びかけるわけですから何らかの応答が期待されていますし、特に神様との関係が重視されるという点にあります。
「呼び求める」が最初に出てくるのは創世記4章26節「そのころ、人々は主の御名を呼ぶことを始めた」です。
前の新改訳三版では「人々は主の御名によって祈ることを始めた。」となっています。
最初の祈りは神の御名を呼ぶことだったのです。
しかし、これは神様は呼び掛けなければ聞いてくださらないということではありません。
また「呼び求める」には賛美する、礼拝するという意味もあります。
イエス様が十字架に架かられた時、同時に処刑された隣にいた男は救われました。
彼は「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」ルカ23:42と言いました。
「イエス様!」これも又、「御名を呼ぶ」祈りであったのです。
そんなことで救われるのか? そんなことで救われるようにキリストは十字架に架かられたのです。
簡単なことですが簡単すぎて人は敬遠するのかもしれません。
祝福は足元にあります。
しかし受け取るためには膝まづかなければならないのです。
彼は神の前の自分の立場が分かっていたのです。
最後に詩篇116篇に「主の御名を呼んだ」人の言葉があります。
この人は、大きな苦しみに遭いました。
そして、その中で主の御名を呼びました。
神はその願いを聞き、それに答えてくださいました。
それから再度、彼は主の御名を呼び求めました。
後者の「呼び求め」は賛美と礼拝です。
主の御名を呼んで答えられ、答えられて主の御名を呼ぶこと。
これは信仰の法則、また、祈りの法則と言えます。
熱心に主の名を呼び求めましょう!イエス様!!と そして主がその祈りに応えてくださいますから再び感謝をもって主を呼び求めましょう!!
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