説教要約
「賛美が持つ力」(使徒16:25~34)
賛美とは私たちが神様の偉大さ、素晴らしさをほめたたえ、感謝をささげ、主をあがめることです。また主なる神様は私たちに賛美することを命じてもおられます。あがめることを命じるというのは心情的にはいささか戸惑いを覚えるかもしれませんがそれは「賛美を神は住まいとされる」と言われているように賛美が力を持っているからです。
どのような力であるのか聖書を見てゆくと特徴が見えてきます。
1)賛美は痛みを取り除きます・・
パウロとシラスが受けた肉体的な 痛と心の痛みに対し、彼らの賛美は心身共に癒しを与えています。
2) 賛美には神の奇跡を呼び起こす力があります・・
神はパウロとシラスを牢から解放するために、特別な奇蹟(地震)を起こされました。
3) 賛美は聞く人の心に働きかける力があります・・
他の囚人達は逃げ出すことは可能でしたが賛美に聞き入って逃げ出しませんでした。
4) 賛美は、たましいの救いをもたらしました・・
地震、逃げない囚人等それらのことによって看守は心から救いを願い求めるようになりました。そして結果的に看守ばかりか家族皆が救われたのです。
賛美のこうした力はどこから来るのでしょうか? それは音楽が持っている力でしょうか。たしかに音楽には、人の心に安らぎを与えたり、元気を与えたりする力があります。しかし、賛美の力は音楽の力以上のものです。それは何でしょうか。
第一に、賛美の力は賛美が伝えている真理の力です・・
どの賛美も、神の真理を歌っています。神の愛を歌い、素晴らしい力をほめたたえています。神の救いのみわざを語り伝え、信仰の奥義を歌います。
主イエスが言われたように真理には人を自由にする力があるのです。
第二に、賛美の力は賛美に表れた信仰の力です・・
キリスト教系の宗教曲が合唱コンクールで選ばれることが多く、特に賞を取る団体はその音楽性においては申し分が無いと思います。しかし、足りないものを感じます。それは「信仰」です。パウロが「祈りつつ・・歌っていた」とあるように神に向かって歌ってこそ賛美と言えるのです。
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