説教要約
「聖餐にふさわしい人」という言い方をされると少し不安と時には恐怖さえ起こりかねませんが、果たしてどんな人のことを言うのでしょうか?
1)聖餐とバプテスマ・・
まず、第一にあげたいのは、「信じてバプテスマを受けた人」ということです。
聖餐式のたびごとに、「イエス・キリストを信じてバプテスマを受けた人は、どの教会のメンバーであっても聖餐にあずかってください」と申し上げているとおりです。
聖餐はクリスチャンのためのものですから、イエス・キリストを、救い主として信じる信仰が求められることは当然のことですが、聖書は、それとともにバプテスマも求めています。
最近、自分でキリストを信じていると思う人には与えるべきである。
そうでないなら差別であるという風潮があります。
差別と区別は違います。
神様は神を信じる者に神の子としての区別を与えてくださいました。
それがバプテスマです。
2)聖餐と教会・・
「聖餐にふさわしい人」は第二に、「教会のまじわりを大切にする人」です。
他の教会の兄弟姉妹と良い関係を持てているかどうかです。
コリントの教会には聖餐について幾つか問題がありました。
一つは分派があったということです。
党派をつくって互いに争いあっていては一致して聖餐をいただくことは難しいのです。
教会は競争する場でもなければ、闘う場でもありません。
あるいは政治的な場でもありません。
聖餐を迎えるにあたって他の兄弟姉妹との関係が問われるのです。
3)聖餐と悔い改め・・
「聖餐にふさわしい人」それは、第三に、「日々悔い改める人」です。
28節に「だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。」とあります。
この「吟味する」という言葉は、「念入りに検査する」という意味があります。
神との関係は、兄弟姉妹との関係は大丈夫だろうかと、日ごとに自分をチェックしましょう。
主が聖餐に招いておられるのは自分こそ主の晩餐にふさわしいと心ひそかに考えている「完璧なクリスチャン」ではありません。
むしろ、「自分は主の晩餐にふさわしくない者ではないだろうか」と真剣に悩む人です。
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