説教要約
ローマ人への手紙は「救いへの道」が筋道立てて明確に書かれています。今回は①信仰による救いの観点から学びます。
1)神は創造者であることを信じる・・
神を信じようと、信じまいと「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(ローマ1:20)と聖書は語ります。現代は神話を信じる人はあまりいませんが代わりに科学、特に進化論を無条件で受け入れる人が多くいます。進化論では、私たちは偶然の産物で、偶然ここにいるだけで、人生には何の意味も、価値も、目的もないと教えます。意味も価値も目的も無いのであれば存在する必要も無くなります。「自分の人生とはそんなものでは無い」と本音では思いながらも、進化論に立ち、創造主なる神を否定して生きることに意味があるのでしょうか?
2)人は罪びとであることを信じる・・
創造主なる神は人との間にも信仰と道徳の法則を定め、人がそれに従うとき、最も幸せになれるようにしてくださいました。しかし人は、まことの神を捨て、神ならぬものを神として礼拝するようになりました。「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず」(ローマ1:21)とあるように神と人間との関係を逆さまにしてしまいました。ここに人間の罪があります。神と人との関係が逆さまになれば人と人との関係も乱れ、壊れてゆくのは当然の帰結です。問題は人が罪びとであることを認めるかどうかです。
3)イエスを信じる者が義とされることを信じる・・すべての罪には罰が伴います。神に対する罪にも刑罰が伴います。それを「さばき」と言います。神は、ご自分のさばきを曲げることなく、私たちの罪を赦す道を作ってくださいました。私達へのさばきが、誰か他の人に向けられ、代わりに私たちが罪の赦しを受けるという方法です。その「誰か他の人」が、十字架で死なれた神の御子イエス・キリストです。聖書には「イエスを信じる者を義と認める」(ローマ3:26)とあります。罪が赦される道はイエスを信じることだけです。信じる者には主イエスの十字架と復活のみわざによる「新しいいのち」が与えられるのです。
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