説教要約
1)罪びとのための救い主・・
イエスは子どもを愛されました。
それは子どもに罪は無いからということではありません。
子どもは生まれつき、わがままで、自己中心です。
ただ大きな一つの特徴は子どもは素直に罪を認め、「ごめんなさい」と言うことです。
イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」ルカ5:32と言われました。
自分の罪を知り、それを認め、心から悔い改める人のところに、主イエスは来てくださいます。
イエスが子どもを愛し、受け入れたことが聖書に数多くしるされているのは、イエスが悔改めてイエスに近づく者を決してお見捨てにならないことを教えるためなのです。
2) 悔い改めと神の国・・
イエスは、悔い改める者に「神の国」を約束されました。
では、聖書が言う「神の国」とはどのようなものなのでしょうか。
まず、「神の国」は将来のもの、世の終りにやってくる、神の永遠の支配だと教えています。
「神の国はまだ先のこと」なのです。
しかし、「神の国」に入るという約束の希望が確かであるからこそ、苦しみの中でもくじけずに前進できるのです。
聖書はつぎに、「神の国」は現在のものだと教えています。
「神の国はすでに来ている」ということです。
イエスは「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」ルカ11:20と言われました。
神の国は、悔い改めてイエス・キリストを受け入れた者たちの中に始まっているのです。
3)神の国を求める祈り・・
子どもは、おとなのような知恵も力もありませんが、子どもには「信頼する」という力があります。
同じように、神を信じる者も、神への信頼によって人生を生き抜いていきます。
「神の国」とは「神のご支配」という意味でもありますがそれは自分を失って、神のあやつり人形になるということではありません。
ひとりひとりが、その人自身となり、みずからの意志で神を信じ、愛し、神に従うことを願っておられるのです。
祈りの内に、すでに来ている神の国を歩みながら、将来の神の国に向かって自らの歩みを信仰をもって進めてゆきましょう。
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