説教要約
私たちの信じている聖書の神はどのようなお方でしょうか。
神について語るのにいくら言葉があっても足りません。
しかし、聖書は「神は愛です。」(ヨハネ第一4:16)
と言って、神をたったひとこと、「愛」という言葉で表しています。
神の国とは愛なる神様がご支配されるところですから神の国は愛で満ち満ちているところとなります。
そのような愛である神様を私たちはどのようにしたら知ることが出来るのでしょうか?
神は、繰り返し、繰り返し、「わたしはあなたを愛している」言われます。
神が私たちを愛しておられるのに、なぜ私たちは神の愛や平安を体験することができないのでしょうか?
それは、私たちが神にたいして罪を犯したからです。
罪は、人間にとって一番やっかいな問題ですが、それは、神にとっても簡単な問題ではありません。
もし、神がすべての罪人を滅ぼしてしまわれれば、神の私たちへの愛は消えてしまいます。
もし、神が罪を見逃せば、それは神の聖さと正しさを損ない、世界は最悪の場所になります。
神が人間をコントロールして罪を犯させないようにしたら、人間は自由な存在でなくなり、人間が人間でなくなってしまいます。
そのような私たちに神は御子を十字架につけることによって信じられないくらいの愛を示されました。
それが「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)のみことばの意味です。
この聖句はまだクリスチャンでない人たちのためだけのものではありません。
クリスチャンに、神の愛による「永遠の命」を授かっていることを教え、その命に生きるよう教えている聖句なのです。
この福音に生き、この福音を証しすることに、熱心に励もうではありませんか。
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