説教要約
2025年がスタートしました。
今年は、エペソ1:22から「キリストをかしらとして」という年間テーマを掲げて歩んでいます。
創世記には「キリストをかしらとして」歩んでゆくための土台となる教えが詰まっています。
聖書の世界観 人は誰しも「世の中とはこういうものだ」という何らかの考え・視点をもって生きています。
それはしばしば「世界観」という言葉で表現されます。
聖書は、創世記1:1で、この世界を造られた神が存在していると述べています。
また、創世記1章では神がこの世界を非常に良い世界として造られたことを教え、神が私たちに人間にとって良いお方であることを明らかにしています。
これは、聖書の世界観の根底にあり、聖書の最後の書である黙示録まで一貫して語られている重要なことです。
信仰者を取り巻く世界 現代は、さまざまな価値観にあふれています。
特に日本では、目に見えることしか信じない人が多くいる一方で、万物に神的な何かが宿っていると考えて敬う人も多くおり、一人の人の中でそれらが共存していることさえ珍しくありません。
私たちはこうした社会の中で、聖書とは異なる価値観・世界観に日々さらされています。
それゆえ、私たちの信仰の土台である聖書のみことばに日々聞いていくことが大切になってきます。
日々神とともに歩む信仰 聖書は、神が良いお方であることを教えています。
神は愛です。
聖書が語る世界観は、神の愛にあふれています。
そして、イエス・キリストを遣わしてくださった愛の神がおられるということは、単なる世界観ではなく、この世界の真理であるというのが、私たちの信仰です。
「キリストをかしらとして」歩むということは、日々、この神様を神として仰ぎ、その恵みに感謝する生き方です。
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