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1月26日「教会のかしらなるキリスト」(エペソ1:20~23)


 説教要約

 

「キリストをかしらとして」とは今年の教会の指針です。キリストが教会の「かしら」であり、教会がキリストの「からだ」あるとは、どういうことなのでしょうか。

 

1)かしらとしてキリストは教会の代表です。・・キリストが教会の代表であるというのは、キリストが教会に属する者たちの代表となって、教会と教会に属する者を守っていてくださるということを表しています。

聖書は、私たちにはふたりの代表者がいると教えています。アダムとキリストです。アダムは人類の代表者として失敗しました。神は、アダムにかわる、もうひとりの代表者を立ててくださいました。それが、イエス・キリストです。イエス・キリストはご自分を犠牲にされた「かしら」です。キリストは私達のかしらとなってくださり、私達に罪のゆるしと救いを与えてくださいました。

 

2) かしらとしてキリストはからだなる教会とつながっています。・・聖書は教会をからだのようなものであるとは言っていません。教会は実際にキリストの霊的なからだです。教会はキリストを信じる者たちが集まって作り出した団体や組織ではなく、かしらであるキリストから出てきたものです。教会は、キリストによって生かされて実を結びます。教会にとって大切なことは、ひとりびとりが、自分はキリストによって生かされているということがほんとうに分かって、キリストとのいのちのつながりの中に生きること、キリストを自分の人生の主として歩むことです。

 

3) かしらとしてキリストは教会を統べおさめておられます。・・キリストが教会を統べ治めるというのは、キリストが王であるということです。キリストが王であるという場合、それは、キリストがクリスチャンだけの王であり、キリストは教会だけを治めておられるということではありません。キリストはすべてのものの王であり、万物の支配者です。現実の教会を見ると微力さ、この世における権威の無さなどが目につきます。しかし教会にはすでに、すべてのものの支配者であるお方、最高の権威ある方がおられ、教会にはそのお方の権威が与えられているのです。大切なことはそこで神のみわざに触れ、キリストが共にいてくださることを体験出来るかどうかということです。

 


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メッセージ内容(2025年1月26日)
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