説教要約
黙示録にはイエス・キリストのことが様々に記されています。
1)イエス・キリストは「栄光の主」として描かれています。
燭台とは教会のことですがそれはキリストの栄光を人々に表わすのでそう呼ばれます。その燭台が「金の」燭台と言われているのは、教会が、キリストの血によってあがなわれた、かけがえのないもの、神の目に尊ばれているものであることを表わしています。初代教会においては教会の礼拝、また説教の第一の目的は聞く人にキリストの栄光を示すことでした。教会は外からは迫害が、内にあっては分裂等諸問題と戦ってきましたが人々の心がキリストの栄光に向かうことによって真の解決へと導かれてきました。イエスは「栄光の主」です。
2)イエス・キリストは「愛の主」として描かれています。
キリストは王の王、主の主であって、あらゆるものに、「こうしなさい」と命じることのできるお方です。主が助けてくださらなければ私たちは何一つ成し遂げることができません。そうであるのに、主は、教会を愛して、私たちのしたことを褒めてくださいます。その上で主は「あなたは初めの愛から離れてしまった」と叱責されました。働きにおいては申し分ないエペソ教会ですが他と比べてではなく、純粋に主イエスに対する愛を問われ、それが離れてしまっていると指摘されたのです。ただ、叱責されることも教会の人々を愛しているが故のことであることを認識する必要があります。イエスは「愛の主」です。
3)イエス・キリストは「勝利の主」として描かれています。
初代教会には迫害の嵐が荒れ狂っていました。教会の内部にも、間違った教えが入り込んでいました。エペソ教会は加えて「初めの愛」から離れてしまった自らの罪と戦っていたのです。教父たちや改革者たちは地上の教会は「戦う教会」であると言いましたが、教会にはいつの時代にも「戦い」がありました。これから時代は、聖書の預言によれば真理を守る戦いになることかと思われます。偽預言者や反キリスト等、キリストによる福音が否定され、真理は主観的なものに置き換えようとする力が強くなるでしょう。しかし救いは主イエスの十字架の贖いと復活によってのみ与えられるのです。イエスは「勝利の主」です。
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